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待ち遠しかったよ

百合のような女性だった檀家の友紀さん。この世を去り半年が経ちました。闘病中は時を無駄にせず、言い訳もせず、精一杯生活されました。葬儀では「山の頂で美味しいおにぎりを召し上がっているだろう」とお話ししました。心を込めて授与した法号は大輪院妙鶯日紀信女。偶然にも彼女がこよなく愛した街の市鳥が鶯でした。ホーホケキョウ。春麗らかな日差しの中で故郷に戻ってくれました。
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京田辺市に「ふじわら整体院」が開院します!

ご無沙汰しております。[わーい(嬉しい顔)]Facebookに投稿ばかりで当ブログをさぼり反省です。(いつも口だけですが)

[演劇]さて、今日は皆様に宣伝させていただきたいのです。[演劇]
法華寺檀家さんで信行組織「菩薩団」で奉仕活動を志している同志 藤原孝庸さんが、この度、京田辺市大住で整体院を開院いたします。各所で多くの研鑽を積み、その施術回数は10万回を超えるとか。腰と股関節のプロフェッショナルの異名を持つ専門家だそうです。知らなかったなあ?そんなすごい腕前だったんだ。

詳しくはホームページをご覧ください。[手(チョキ)]

〒610-0343 京都府京田辺市大住小林21ー4ー103 「ふじわら整体院」 [電話]0774-62-0110

http://princehisayou.jimdo.com

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最近のパワースポット考

子どもに手伝いを頼むと「お小遣いくれたらやるー」っていう子が結構多い。子供だからね。気持ちはよーく分かるけど、敢えてそんな時は「ばかやろう。見返り求めて手伝いなんかすんんじゃねーよ。そういった事は後から付いてくんだよ」と叱正しておきます。
大人でもパワースポットに行って樹齢千年の杉に抱きついて「パワーを頂きます」と言う。「ばかやろう。本当はパワースポットなんてピリッと恐れるところだよ。すぐ貰う事ばかり考えやがって。本来そういったところは自省懺悔して決意を新たに誓いを立てる場所、神聖なものにペタペタ触るんじゃねーよ」って言ってやりたいと毒を吐いてみた。日梵
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親の無償愛は子の利他心を育む

近所に塾が増えました。最近の子供は塾通いに翻弄され大変そうですね。もっとも私も子供の頃は塾に通っていました。自分から行きたいと言ったものの、ほとんど遊びに行っていたようなものだったし、時には親に嘘をついて塾の学費を誤魔化して使ってしまったこともありました。今思えば罪深いことです。
昔から「母さんが夜なべして手袋編んでくれた〜♫」母の無償の愛は、自然と子供に施しの精神や、他者に尽くす喜びを教えてくれるのかもしれません。子供が甘えてワガママを言っても、「面倒」だとか「辛い」とか言わず、身を粉にして子に尽くす母。子供はしっかり感じています。
塾のお金を誤魔化しても自分を信じてくれた親。そこに感謝の念がこみ上げてくるのです。塾に行かせてもらったとか、高いお金を使わせたなどという気持ちは、よっぽど賢いか、成長しないと湧きあがってこないでしょう。所詮お金は非情のものです。ひとつひとつの温かい行為や慈愛、こういった有情の精神に始めて子供は深い感謝と精神の安定をみるのだと思います。
私もお寺に来た子供が悪さをすれば「てめーふざけんじゃねーよこの野郎」と大きな声で口悪く叱りますが、慈愛とスキンシップを忘れることがないよう、良寛和尚を見習いつつ遊んでいます。日梵
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教職(僧職)の資質向上を願って。利己(権利)主義が世を乱す。

聖業であるべき教職が一職種に成り下がってしまった。社会に渦巻く利己的な資質が教職をも蝕んでいるのだと思う。僧職も信念がブレたら同じ轍を踏むかもしれない。

先日、葬儀後に故人の逮夜表を喪主様にお渡しすると、後日、逮夜法要の日時を一方的に決めて連絡してきたので「お互い社会人として相談を経て日程調整してから親戚に周知していただかないと困る」と伝えれば「絶対日時は変更しない。逮夜表に要相談と書いていない方が悪い。それなら代わりのお寺さんを紹介してほしい」と反論される。「逮夜表はあくまで逮夜の日程表。できる限りおっしゃる通りにしたいが先約がある。100件以上の檀家さんを抱えれば皆平等に勤めるのが筋で、よっぽどお宅より信仰熱心な方もいらっしゃいますが、商売じゃ無いんだからお布施の額面や好嫌いで優劣つけるのもおかしいでしょ。だからこそ相談していただきたい。そういった段階を経てはじめて他寺院の紹介を考えるんじゃ無いんですか」とこんな会話がとめどなく続く。まあワガママです。でも怒りたいが鉢は割りませんよ。言うべき事は主張しますが怒らずに信頼関係をつくっていかないといけない。怒りを吸収して。

知人の某大手電鉄の車掌も酷い苦情に振り回されているらしい。お客様は神様と言わんばかりに内容問わず苦情を受ける会社も会社だ。苦情内容に黒白付けられず我儘に振り回される電鉄に命を預けて大丈夫なのかと逆に言いたくなる。

知人の会社社長は、顧客が社長と同町内の人の什物を破損させてしまった。「怪我していてすぐ伺えないので、取り急ぎ伝えておいてほしい」と当事者に頼まれ、何か違うな?と思いながらも先方に伝えておいた。数日後顧客の母親から「ちゃんと伝えてくれたんですか?先方から直接連絡がないと怒られたじゃないですか」と怒りの電話がかかった。さすがに社長「おたく間違ってますよ。息子が怪我しているなら貴方が謝罪に行きなさいよ。しかも息子さん昨日普通にすれ違いましたよ。サービス業だからってそんな事まで擦りつけないでくださいよ」上顧客だったそうだがそれ以後音信不通、離客した。よく言った社長!それで良いと思う。

残念ながらこれらの問題客は団塊世代の割合が高い。その子供が真っ当に育つはずがない。日梵
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中国人と会話???

滋賀大津にも中国人が大挙して訪れている。京都から目と鼻の先だからだろうか。オリンピックを控え歓迎したい気持ちもあるのだが、残念ながらマナーが悪い。横断歩道で信号待ちをしているとバンバン無視して横断する。マナーを守る私たちを後ろ目に見ながら「何止まってんだろう」てな顔をする。ドサドサガヤガヤギャーギャー。世間の評価通りのお振る舞い。

以前檀家さんと大阪ミナミに行ったのだが、日本人チャラ系と中国人が闊歩して占拠。
檀家さん「こりゃきっと来てねと泣いていた♫宗右衛門町ブルースどころの話しちゃうなぁ、ぶち壊しや」と言っていた事を思い出す。つい先だって宗右衛門町はその風情を維持していると、あるレビューで知ったのでホッとした。

大津の中国人に話しを戻そう。エレベーターに同乗してきた横断歩道無視の中国集団。私が降りる階でも当然動きませんよね。悔しいからあえて「対不起(トゥイブチイ)」と連呼してみた。「対不起」は深い謝罪。すると何が起こったかわからない中国人。目があったのでニコッと笑ってやった。ぎこちなくも彼らはニコッと笑顔を返してきた。

そのような場合、通常彼らの国では「不好意思(ブハオイス)」と言う。自己弁護を含めた謝罪だ。でもここは日本。スミマセンは他者にご迷惑をかけて私の心が澄みませんという事。誠心誠意謝罪するのが日本の国柄。彼らが帰国してから思い出してくれるといいな。
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本当にお久しぶりです!

皆様ご無沙汰しております。日梵でございます。実はセキュリティ強化に伴いますパスワード変更等の障害でここ2年ほどログインできずに困り果てておりましたら、この度無事ログインを果たせました![晴れ]

その間は下記ブログで対応しておりました。ご高覧くださいませ〜[わーい(嬉しい顔)] 合掌 日梵

[ひらめき]法華寺信行組織 菩薩団ブログ「法華村」
http://bosatudan.blog.so-net.ne.jp

[ひらめき]法華寺寺庭婦人ブログ「cheer-up」
http://ameblo.jp/green-cheer-up/





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大手葬儀社の食物にされてたまるか!各寺院も毅然とした対応を望む!

現在風邪でダウン中だが、書かずにはいられないので書きます。

昨日、拙寺から程近い京田辺市内に住む方から電話で相談を受けた。訳を聞くと、父親が亡くなり現在中有期間で、来月四十九日法要に続けて墓地の開眼と納骨をお付き合いしている日蓮宗の某寺院にお願いしたところ、「ついで参りは良くないので、開眼は先に勤めて納骨も済ませ、四十九日は別の日にしっかり勤めなければいけません」つまり二座勤めると教示されたとのこと。
ただ、その喪主さんは何と無く釈然としなかったので、墓石屋さんに相談したら「日蓮宗なら近くにありますよ!ご存知なかったのですか?」と聞き、電話してこられたのだ。

拙僧は「葬送儀礼は地域性が色濃く反映される場合がありますし、その檀信徒さん個々の機根を判断して教示している場合もありますので一概には申し上げられませんが・・・・、拙寺では四十九日に開眼納骨することは多々ございます」とお話すると、実は葬儀で初めてご縁があったお寺様だと仰る。

拙僧すかさず「葬儀会場はセ◯◯ホールだったのでは?」ビンゴである。以前からセ◯◯は、喪主さんがお寺とのご縁がなかった場合は遠路府外から日蓮宗僧侶を呼ぶと聞いていたが、やはりそうだった。所謂葬儀社契約寺院である。葬儀を紹介してもらう代わりにお布施の一部を紹介料として葬儀社に納めるシステムだ。この裏事情を喪主さんは一切知らされない。お寺に布施したと思っているのだ。この偽善的行為については以前ブログに記したので参考にしていただきたい。
【許すまじ〜大手葬儀社と僧侶の契約〜 】
http://hokkeji.blog.so-net.ne.jp/2012-04-28


話を戻そう。このような契約寺院は葬儀に力点をおく傾向があるので、葬儀以降の法務は他に丸投げする場合が多い。よって丁寧に取り組んでいるお寺様かもしれない。ただ勘ぐったらキリがないが、相談者の話を伺うと、どうも二座勤めたい理由がうっすら見えてくる。

結局、相談者は既にそのお寺様に不信を抱いており、しかも遠方なので付き合う気持ちはなさそうだ。拙僧に今後一切をお願いしたいと仰る。

拙僧「お受けするのは構いませんが、そのお寺様は通夜葬儀としっかり導いてくださった恩義がある。相談者さんも、ある意味自己都合で、そのお寺様にお世話になったともいえる。お寺様としっかり相談して、仁義礼節を通してからご判断ください」と話を締めくくった。

ここで、腹が立つのがセ◯◯だ。拙寺の布教力不足、知名度不足は多いに反省するところだが、喪主に地元の寺院情報を一切開示せず、紹介の場合は特定寺院僧侶しか紹介できないなど、どのツラ下げて客本位の商売だといえよう。喪主の便宜など御構い無し。自分たちの利益重視だ。当然拙僧はセ◯◯からは一切紹介を受けたことはない。地元の日蓮宗法華宗で葬儀を希望される皆様は、一切情報を知らされず、遠方の契約寺院が対応していると思うと、甚だ遺憾である。

シマを荒らされる的なちっちゃなことで怒っているのではないので誤解のないように。
その根性魂胆が気に食わない。どんどん地元の寺院情報を発信・伝道をして、市民に提供していかなければならない。良民が営利葬儀社の食い物にされてたまるか!
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家族葬~後悔先に立たず、チャンスは一度だけ~

最近は喪主さんから「家族葬ですので」と言われることがよくある。こちらにとっては、家族だけだろうが何百人参列があろうが、供養に変化はないのでどうでもいいことなのだが、喪主さんにしてみれば質素にイコール財政節約の意味があるのだろう。とある上人が「葬儀なんか昔も今も家族葬デスよ。最近の葬儀は家族葬じゃなくて秘密葬ですよ!」と仰っていたことに深く共感したが、先日このような出来事があった。
父親が亡くなり喪主である息子は私に例のごとく「家族葬で行いますのでぇ」葬儀式も終わり火葬場へのタクシー車中で
拙僧「私も東京から関西にきて十年以上になり、ようやくこちらでも心を許しあえる友人や檀家さんができましたよ。東京には同じ釜の飯を食った無二の親友が数名いますが」
喪主「私も学生時代から悪いことばーっかりしてきた親友がいましてね、腐れ縁というか、これからもずっと親しいですね」
拙僧「男性は特に親友を大切にしますよね。でも、万が一その腐れ縁の親友が亡くなってもご主人は知らないままなんでしょうね」
喪主「そんなことはないと思いますよ。本当に親しいんですから」
拙僧「でも、その親友の息子娘が家族葬を選択したら知らされないでしょう。ご主人が先になくなっても息子さんが家族葬を選択したらその友人には訃報は伝えられないでしょうね」
喪主は黙り込んでしまった。
喪主「父の友人に今から連絡します」

時すでに遅し、間も無く火葬されるのだ。お別れは済んだ。この喪主さん団塊の世代。いい大人であっても無関心、安易で世相に流されるだけの生き方をしていて、考えりゃわかるだろ!!!って単純な話も気づくことができない。指摘され始めてハッとしたのだ。今時、「葬式はいらないとか、死んだらキリスト教の信仰もないのにキリストがいいかなあ」とか皆思考が安易だ。
そしてあえて宗教者側の責任を問うとすれば、儀式化した仏教に胡座をかいて、生きた仏教を全く伝えてこなかった。いや、伝えていると勘違いしていたのだ。
時既に遅しか、いや、最後の機会と思って望め!

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次世代への継承 夢のかたみ「Hokke.TV」

 先月23日、無事「いのりんぴっくin京都」が開催されました。このイベントを機に生み出された次世代への夢の形見「Hokke.TV」。画期的なインターネットテレビ局で宗教界類を見ない放送局です。

 草創期は試行錯誤の連続です。しかし、次世代にこの偉業を継承させるため身を粉にしてスタッフ一同活動しています。何も名を残したいためではありません。時間と空間をこえて共有できるパイプ作りをしたいのです。そして、そのパイプは果てしない未来から鎌倉時代まで繋がっているのです。
 

 お祖師様が数百年後の我々がお題目を継承していることにお喜びをお感じであろうように、我々の世代が終焉を迎えても「夢のかたみ」が生きていくのです。

~Hokke.TV 世界に法華経を届ける動画制作編成配信局~
http://hokke.tv/
 
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愛すべき郷土・学舎・日本・信仰。継承し次世代へ。

 皆様本当にお久しぶりです。本年は拙僧にとりまして充実した1年になりました。本年初頭には住職に就任して干支ひと回りしたことで、次のターンはどのように歩んでいったらよいかなど、若干の不安も含みながら、あれこれ考えておりましたが、そのような思惑など全く無意味。法友や檀信徒(菩薩団)、仏縁に導かれ、新たな世界への第一歩を踏み出すことになりました。
 
 
 その一端を挙げれば、刑務所教誨師や、「いのりんぴっくin京都」を通じて京都府第一部各聖との交流、菩薩団員とのさらなる結束、「Hokke.TV」通信員としての活動等です。どの役も、献身的に活動することは勿論ですが、同時に自己に生まれる慢心もつぶさねば務まらないところに意味があります。  
 慢心を諫めることは、布教にも重要な意味を持ちます。僧侶檀信徒ともに慢心を捨てて僧(サンガ共同体)として、各々の本分をわきまえ、お互いに敬意を表し、旦行礼拝行を実践することが、現代布教には重要な意味をもちます。そこから僧侶檀信徒間の「信頼関係」が芽生え、1つの教え、1つの御本尊を礼拝する同門の行人として存在自体を尊重するのです。これが異体同心です。どちらかの優劣を競うなどもってのほか。そのような所業は法華経者ではありません。

 
 話はガラッと変わりますが、拙僧は故郷を離れておりますので、無性に故郷が懐かしく感じることがあります。お年寄りが「なつかしやー」と思う時代は大抵幼少期ですが、拙僧もすでに例外ではありません。時折WEBで地元の情報を検索などしては懐かしんでいます。
 
 
 拙僧は幼少の頃から音楽や歌が好きなのですが、特に校歌や地域の愛唱歌、民謡などをこよなく愛していました。今でもほとんど歌えます。先ほど、なにげなくWEB検索すると、母校の小中高ともに学舎風景は変われども、時をまたいで同じ校歌を歌う子供動画を発見、涙が取り留めもなく流れてしまいました。小学校の歌詞を見て涙!中学校で涙!高校で涙!です。横から家内は「いつものことか」とシラっとしていますが、小学校で教えていただいた板橋区愛唱歌「愛するふるさと」動画も偶然見つけて、また涙でした。この歌は当時何かの記念に作詞作曲された歌で板橋区内の公立学校で一斉に歌ったのです。当時、他校の友人も同じ歌を唱っていることに小学生ながら喜びを感じました。そして、その愛唱歌が今でも歌い継がれているのです。素晴らしい!
 
 
 拙僧の出身高校である都立板橋高校は在学中、日教組の巣窟、吹きだまり学校で、見事なまでに徹底した反日教育が平然と行われていました。皇族は呼び捨て。国旗国歌は全くなし。その校風で拙僧の反骨精神が培われたのだと思っていますが、今考えたらおかしな話です。あんな思想はカルトと紙一重だと思います。
 
 
 例えば、創価や正宗信徒は身延に行くと地獄に墜ちると信じ、「身延山はジメっとして有り難さを感じない。あれが悪鬼の住み家だ」などと主観だけで真剣に言います。しかし、逆に拙僧は何度となく富士大石寺に行きましたが、教義など中身はともかく、風光明媚な場所でした。富士山も綺麗で、富士の清流が流れ、アンバランスな建物こそあれ、整備されてなかなか良かったです。無論身延だって自然豊かでいい山です。これを客観的に感じられないほど毒されている有様が「マインドコントロール」であり「カルト」です。
 
 
 話がそれましたが、高校では国歌を歌うなど有り得ない空気、でも校歌はOKでした。これおかしいですね。幾世代にわたって同じ歌を教育したり、自治体がが愛唱歌を区内公立校に歌わせるのも価値観の押しつけになるのでは?ここに国歌反対派の限界を感じます。国歌に罪を背負わせるというカルトです。私は理解できません。

 
 拙僧は逆に先人も現代人も同じ価値観を共有することに喜びを感じますし、もっと特化して言えば、昭和生まれだということですら誇りを感じます。先の大戦で志し半ばで亡くなった方が昭和○○年までしか意識を持てなかった。私はその後○○年生まれ。見えない先人と会話しても、「そうか。その後昭和は64年まで続いたのかぁ。君は49年生まれか」そんな声が聞こえてくるようです。
 
 
拙僧は昔から以下の夢を何度も見ます。
【透き通るような青い海。雲一つない青空。真っ赤な夕焼け。綺麗な景色に感動しながらもそこは戦場。早く海の向こうにある日本に帰りたい】

 
 拙僧が僧侶を志した理由の一つに、このような無念の思いを抱いた英霊の鎮魂が含まれていると常に考えているのです。たまたま、身延山日蓮宗信行道場で、総本山英霊施餓法要の金座を任されたときには、法悦、涙をこらえ法要に出仕しました.

 
 硫黄島には今でも多くのご遺骨が滑走路のアスファルト下に埋まっています。戦争末期に本土爆撃を防ぐ一心で非戦闘員が多く硫黄島に出征、自決を許されない戦闘をしました。時間を稼いで本土の家族を守るためです。米軍は硫黄島を奪取して滑走路を早急に建設しB29を離陸させたかった。よって、死体の上にアスファルトを敷いたのです。いや、硫黄島だけではない。多くの先人が帰国を果たしていない。 

 
 お寺でも過去帳を見れば、数多くのご先祖様が亡くなっています。顔も分からぬご先祖様。しかし、同じ姓を名乗り、同じお寺を共有し護持し、同じ御本尊を礼拝する。この連続性に涙が止まりません。
 お寺でも歴代上人へのご回向をしますが、特に初代住職は回向文で必ず読み上げます。物事を動かし始めるエネルギーはとてつもなく力のいることで、そのことへの敬意かもしれませんね。
 

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いのりんぴっく in 京都


今回は、菩薩団が関わっている【いのりんぴっく in 京都】という
イベントのご案内です[るんるん]

以下、寺庭婦人blogより転載いたします。



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先日もご案内しましたが、【いのりんぴっく in 京都】に関して私に出来ること、
何か力になれそうなこと、を考えたときに私的応援ホームページを作成することにしました[ぴかぴか(新しい)]


そして今現在、新しい情報があれば随時更新中のHPがコチラです[左斜め下]

    [かわいい]http://inorinpic-in-kyoto.jimdo.com/[かわいい]



当日開催されるイベント情報や、36団体が出店する鎌倉の市で販売されるもの、
京都の老舗から各地のB級グルメまで取りそろえたフードコートなどなど、
皆様に分かり易く作成することに努めています[わーい(嬉しい顔)][るんるん]


入場料などは勿論ありません[exclamation]

出入り自由ですし、お子様連れでもお楽しみいただける子供ブースもございます[るんるん]

勿論、授乳室、オムツ交換をする場所もあります。

AEDも設置し、看護師が常駐しておりますので、安心してお越しくださいませ[わーい(嬉しい顔)][黒ハート]


日蓮宗の京都の寺院が中心となって準備を進めておりますが、
当日は宗派に関係なく、共に環境・平和・いのちについて考えていただき、
物故者への追悼の祈り、東日本大震災で亡くなられた方、
被災された方々へ、一緒に祈りを捧げていただければ、本当に嬉しいです[ぴかぴか(新しい)]


皆様のお越しを心からお待ち申し上げております



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反省

最近facebookに夢中になるあまりブログがとっても置き去りになってしまいました。申し訳ありません。書きたいことは山ほどございます。徐々にアップしますのでよろしくお願い申し上げます。

ちなみにfacebook名は  中紙賢孝日梵  です。

ご縁のある方は友人申請をお願い申し上げます。合掌
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許すまじ 大手葬儀社と僧侶の契約

先日知人の葬儀関係者からこんな話を聞きました。。大手葬儀社は宗派毎に専属僧侶を抱えているが、その内情です[演劇]

①僧侶ははじめに葬儀社に百万円単位で契約金を納める。(契約解除時に返金されない)

②葬儀社から葬儀の依頼がバンバン入る。

③僧侶は通夜葬儀をこなして施主様からのお布施30%を葬儀社に納める。

④僧侶は今後のことは近所でお寺を探してくれと言う。(葬儀社からの依頼を三回断ると無条件で契約解除になってしまうので、極力、法事や満中陰法要など細かい予定に入れないようにする)

こんな無責任な話ってありますか。とんでもないですよ[パンチ]

係わり合った施主様やご家族の心の支えとなり、信頼関係を築き上げて信仰に導いていくのが僧侶の努めでしょう。それを放棄して葬儀社の意のままに葬儀に奔走する僧侶。

施主様は寺院や僧侶への不信が募る。拙寺にも何件かいらっしゃいましたが「葬儀の寺に突き放された」と憤慨していました[失恋]


その知人は最後に「この地域は圧倒的に真宗系契約が多いです。しかし、貧乏だった寺は見違えるように裕福になります」と言っていました[ぴかぴか(新しい)]

財は力をなしますし、拙寺でも財力があれば多様なことにチャレンジできると感じることもあります。バリアフリーにしたい。景観をよくしたい。本堂の椅子を増やしたい。庭の剪定をしたい。シロアリにやられた土台を修復したい等々。存続自体危ぶまれている寺院も多い。背に腹は代えられないのかもしれません。

しかし、僧侶としての規範律に叶っているか。ここが重要なのです。かねてより葬儀や悪徳葬儀社の問題は当ブログでも書いてきましたが、これは仏教界全体で問題提起すべき内容です。


葬儀屋互助会制度のトリックに注意して契約を(改訂)
http://honyouji.blog.so-net.ne.jp/2011-02-26

高槻広宣寺様が悪徳葬儀社に対してに興味深いブログを発信されています 
http://www.kousennji.jp/blog/

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回天搭乗員 塚本太郎大尉の遺言

以下の遺言は人間魚雷回天で散華した塚本太郎様が出撃前にお父様の経営するスタジオで密かに録音していた肉声を活字におこしたものです。

この録音は靖国神社遊就館と呉大和ミュージアムで拝聴することが出来ます。

過去を現在のものさしで測り、批判することは容易ですが、あまりにも短絡的に感じます。。その時代その時代を懸命に生き抜いた人達の息吹を感じ、その心中を酌み取ることこそ最も大切だと思います。

過去を徹底的に卑下否定して今を生きるのが良いのであれば、我々が懸命に生きているこの時代や人々の営みや育みのことも、将来子孫に葬り去られるかもしれない。あの価値観やあの時代は醜いと言って。

私は決して葬り去ることはしない。先人の徳を永遠に語り続けたい。

父よ、母よ、弟よ、妹よ。そして永い間はぐくんでくれた町よ、学校よ、さようなら。本当にありがとう。こんなわがままなものを、よくもまあ本当にありがとう。 僕はもっと、もっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ。愉快に勉強し、みんなにうんとご恩返しをしなければならないんだ。 春は春風が都の空におどり、みんなと川辺に遊んだっけ。 夏は氏神様のお祭りだ。神楽ばやしがあふれている。昔はなつかしいよ。 秋になれば、お月見だといってあの崖下に「すすき」を取りにいったね。あそこで、転んだのは誰だったかしら。 雪が降りだすとみんな大喜びで外へ出て雪合戦だ。 昔はなつかしいなあ。こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたい。喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつでも手を握りあって――。 然し僕はこんなにも幸福な家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。日本人、日本人、自分の中には三千年の間受け継がれてきた先祖の息吹が脈打ってるんだ。鎧兜に身をかため、君の馬前に討死した武士の野辺路の草を彩ったのと同じ、同じ匂いの血潮が流れているんだ。 そして今、怨敵撃つべしとの至尊の詔が下された。十二月八日のあの瞬間から、我々は、我々青年は、余生の全てを祖国に捧ぐべき輝かしき名誉を担ったのだ。人生二十年。余生に費やされるべき精力のすべてをこの決戦の一瞬に捧げよう。怨敵撃襄せよ。おやじの、おじいさんの、ひいおじいさんの血が叫ぶ。血が叫ぶ。全てを乗り越えてただ勝利へ、征くぞ、やるぞ。 年長けし人々よ、我等なき後の守りに、大東亜の建設に、白髪を染め、齢を天に返して健闘せられよ。又幼き者よ、我等の屍をふみ越え銃刃を閃めかして進め。日章旗を翻して前進せよ。 至尊の御命令である。日本人の気概だ。永遠に栄あれ祖国日本。我等今ぞいかん、南の海に北の島に全てをなげうって戦わん。大東亜の天地が呼んでいる。十億の民が希望の瞳で招いている。 みんなさようなら!元気で征きます。
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法事後の清宴にて~学会員とのやりとり~

拙僧は法事後の清宴に招かれることも多く、施主様始めそのご家族や親戚との交流を大切にしている。法事では皆が功徳を積むとはいっても、法話・法要と、こちらからの一方的なアプローチになりがちだが、その後の宴会では相互が分かち合いながら時間を共有できる。ましてや若い方との接点が少ない中にあって、そのような機会を見逃すわけにも行かない。実際、その積み重ねによって菩薩団に加入してくださった方もあるので、俄然やる気が出る。
[ビール][バー]もっとも、宴会が大好きなのが一番の理由なのだが。[わーい(嬉しい顔)]

先日、清宴でとある参列者が

「浄土宗は南無阿弥陀仏と唱える。あの世へ行きたい。阿弥陀さん救ってくれー。そうすると死にたくなる。鬱病になる。だから法華経を修行しないといけない。しかし、身延の修行は狐や蛇を祀っているので畜生になる。本当に仏界を理解している教団は創価学会」だと。

拙寺地域は浄土信仰が盛んな土地なのだ。

この方は法事の度に折伏と称して周りの方を悩ませるのだが、結構人間味があって拙僧のことも可愛がってくださる。数年来の付き合いになるが宴が進むにつれて拙僧と必ず議論になる。

拙僧
「学会は草創期より相互依存で活動してきた大石寺教義も払拭できず、中途半端。しかも過去の教義清算や活動への自己批判も一際しないで、新教義を布教するのはあまりにも無責任

ここにいる村の浄土宗信徒は仏教のことなど何も知らない。学んだこともない。興味もない。ただ慣習にならって法事に参列しているだけ。貴方だって入信前はそうだったはず。

しかし、ここの人達が貴方の意見に同調してあなたと同じアナウンスを始めたら、正邪の確証もなく人を引き込むことになる。このことに問題意識や宗教的な懐疑心を抱かないと、世間からカルトと言われても仕方ない。

拙僧は日蓮聖人の教義であっても懐疑心も持つし、教団の高僧の発したことでも疑問を主張できます。既成教団の日蓮宗はそういった教団です。

でも新宗教はたいていそのような心を抱くこと自体タブー。成功すれば御利益。失敗すれば信仰が足らないと言う。批判的なことを主張すれば堕地獄となる。これでは思考停止ですよ。

貴方は法事の度に日蓮宗の法要に参列しています。邪教僧侶との同座は地獄行きじゃなかったのですか?貴方は本当の本尊は板ではなく心の中にあると言うが、貴方の大先輩方は大石寺の板本尊のみが絶対と称していました。教義改革は方便として必要というなら、狐や蛇だって肯定できますよね。諸天の別勧請は法華経への引入方便なのですから。

身延が狐や蛇を祀っているというのも貴方達は何十年来主張していますが、釈尊を礼拝しているのです。法華経を信仰しているのです。狐や蛇は諸天の眷属であって、本尊にしていません。そこも間違っています。悪口をそのまま意味も分からず発している人が多すぎます。

わたしは貴方にとても愛着を抱いていますし、毎回お会いするのが楽しみ。万が一貴方が先立つようなことがあったら葬儀には絶対に出席します。たとえ学会の友人葬であっても。友情を教団に指図される覚えはないのですから」

昨年は大震災で多くの命が失われた。熱心な信仰を持つものもあったと思う。この期に及んで布教と称し、そのような無責任なことを発する教団は看過できない。

ある高僧が

「世間では天罰や業・因縁といった言葉を悪しき趣旨で発言する人がいる。しかし、そのような言葉は絶対他者に投げかけるべきではない。​自己に自問自答するべき言葉であり問題である」

と説法されたことも伝えた。

最後はその方と再会を誓って握手をして別れた。有意義な清宴であった。

以前ブログに記した内容が埋もれてしまったので再掲します

拙僧ブログ「幸不幸を他者に決めつけられたくない」
http://hokkeji.blog.so-net.ne.jp/2007-04-12





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新規HP開設のおしらせ

このたび、日蓮宗公式ポータルサイト上に京田辺市法華寺の新規HPが掲載されました[手(チョキ)]
従来の公式HPと併せてご覧ください[わーい(嬉しい顔)]
また、日蓮宗公式サイトは動画や情報があふれ、つくりも非常に魅力的です。こちらも是非ご覧ください[ひらめき]

京田辺市法華寺(日蓮宗ポータルサイト上) http://temple.nichiren.or.jp/5011148-hokkeji/  

日蓮宗ポータルサイト http://www.nichiren.or.jp/

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名は大切なものだと思います。

 市町村合併で伝統的な地名が消えることにも違和感を覚えた。未​だに「どこそれ」といった地名も多い。当時、母の郷里栃木県氏家​町や喜連川町も合併して「さくら市」となった。桜が有名だからだ​そうだ。命名に際し両者譲らなかったこともあるのだろうが、残念​だった。
 
 泉佐野市が市名売却の是非が問われている。拙僧は反対だ。伝統​や文化をたやすく商品化するのは現代の縮図。松下ですら、あれだ​けもめて、ようやくパナソニックになった。しかし松下は商業だ。地名は違う​。
 
 当山には江戸時代開山上人筆の曼荼羅が格護されているが、そこ​には「山城国綴喜郡大住庄岡村」と今とほとんど変わらない地名が​記されている。それを拝する度に、時代を超えて先師と同じ軸を共​有する喜びを噛みしめている。

日の丸や君が代も然り。御本尊も然り。時代を経て共有している誇りを大切にしたい。
  
 私は名を大切にしたい。名は体を表す。

「妙法蓮華経と申は文にあらず、義にあらず、一経の心なり」 日蓮​聖人『曽谷入道殿御返事』 
  法華寺住職 中紙賢孝日梵
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時にはお金を使うことも必要

こんばんは

現在深夜一時過ぎ、夜更かしブログです[目]

[手(チョキ)]只今お彼岸で皆様からお申し込みいただきました卒塔婆をやーーーーっと書き終えました[手(チョキ)]


それはそうと、卒塔婆の語源って知っていますか[exclamation&question]

サンスクリット語のストゥーパの音写なんですよ!!ストゥーパ→そとうば  何となく分かりますよね[決定]

ストゥーパとは仏塔のことを言います。

お釈迦様が亡くなった後、仏様を恋慕渇仰し、その教えを高顕するために仏塔を建立しました。

仏塔を建立することが「修行」であり「功徳」と捉えるのです。

その後、仏教が伝来した日本でも豪族・貴族・大名などの有力者がこぞって五重塔などの仏塔建立を発願し、功徳を積みました。

ただ、これでは民衆には到底手が出せません。民衆がもっと簡単に功徳を積みたい。

こうして登場したのが木板製の卒塔婆なのです[ひらめき]

卒塔婆にはありがたい経文と、亡き精霊の法号を書きます。

日蓮聖人はご遺文の『中興入道御消息』で

「去りぬる幼子の娘御前の十三年に、丈六の卒塔婆をたてて、その面に南無妙法蓮華経の七字を顕しておわしませば、 北風吹けば南海の魚族、その風に当たりて大海の苦をはなれ、東風来たれば西山の鳥鹿、その風に身を触れて畜生道を免れて都卒の内院に生まれん。 況んやかの卒塔婆に隨喜をなし、手を触れ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母もかの卒塔婆の功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母と共に霊山浄土にまいり給わん事、水澄めば月うつり、 鼓を撃てば響きのあるが如しと思召し候え」

と、有り難い文章を残されています。

我々が卒塔婆を建てると、霊界ではとてつもないことが起こるのです。法華経でも「まさに塔を建てて供養すべし」と起塔供養を推奨されています[exclamation×2]

また、日蓮聖人は別のご遺文でも「我々の口から発したお経が金色の仏様となってあの世の精霊を尋ねて救ってくれる」とも仰っています。

目に見えないものへの畏敬の念を失い、物質に執着しがちな昨今ですが、自らの身を削って他者のために尽くし、卒塔婆を建てたり、お花や供物を購入し、時間と労力を使って寺詣り墓参りに行き、大切な命の源である先祖へ感謝の誠を捧げることは決して「損」ではありません。必ず自らに功徳が還ってきますよ。[わーい(嬉しい顔)]

目先では、交通費、供物代、卒塔婆・お布施ect・・・財布からお金がなくなり、折角の休日をレジャーに行きたいし、これだったらこのお金を自分達のために使った方がよっぽど有効的だし「得」なんじゃないか?と考えることが今時自然なのかもしれません。

仏教の教えや供養の意義などを、皆様に伝えきることができていない仏教界や僧侶は真摯に反省し、いっそう精進してその教えを示していく必要があるでしょう。

最近お寺に納骨をのぞむ相談が多く寄せられます。相談者の事情を聞くと

「親が他界したが費用がかかるし、忙しいので葬儀はしなかった。しかし、遺骨を家に置いておくわけにもいかない。墓地を建てるのも大金がいる。永代供養も費用がかかるので、ただ納骨してほしい」

と言うのです。この方は結局、骨を手放したいが投棄するわけにはいかないので、お寺に預けたというお墨付きがほしいんですね。

拙僧は思わず力が入ってしまい、

「お金お金と言うが、あなた結婚式の時にお金を沢山使ったでしょう。おたくの ”出来の良い”子供が成人するとき、やれ貸衣装?やれ晴れ着購入?記念写真?お金を沢山使ったでしょう。自分へのご褒美といって欲しい物を買ったことはありませんか?今回は育ててくださった親の供養。ここにお金を使えませんか?

どうして大切な親の人生の卒業式にお金をかけられないのですか?どうして葬儀にお金を使うことをいけないことと考えるのですか。当然お金はかかりますよ。費用はかかりますよ。でも重恩の親のために使うのですよ。仏教ではそのような行為を惜しむことを「餓鬼の所業」というのです。

お布施に決まりなど無いのだから、本当にお金がなければ、こちらは一生懸命供養もします。でも、あなたはただケチなだけで、金が惜しいだけ」

と言ってしまいました。こういった話はデリケートなんですよね。僧侶が「お金かかって当然」などと発言すると誤解されかねないのです。拙僧はその方の心の有り様を申し上げたのです。

医者に今晩が峠と言われた母が「一生に一度ダイヤの指輪を指にはめたかった」とうわごとを言えば、夜通し宝石店を探してでも指にはめてやろうと感じるのが人としての情であり報恩だと思うのですが、それですら「もったいない」と一蹴される。

明日無き命に大金は叩けないのだから、死人にはなおさらなのでしょう。不孝ですね。まったく。[バッド(下向き矢印)][パンチ]

紹介する法話、是非お読みください。分かりやすいです。
法話「四恩の大切さ」
http://www.rinnou.net/cont_04/rengo/2006-02.html
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列車中での想い出

 ダイヤ改正の度に、懐かしい列車が姿を消していく。今日も「寝台特急日本海」がラストランを迎えた。報道を見ていると、懐かしくもあり、一時代が終わっていく一抹の悲壮感がある。

 最終列車にホームから「ありがとう」と声がかかる。中には感傷的と捉える人もあるだろう。しかし、その対象が「モノ」であったとしても、感謝を抱く心は実に美しい。

 拙僧も約20年前に免許を取得し、給料をはたいて(当時浅草でサラリーマンをしていた)初めて購入した愛車「カローラⅡ」を手放すときの、あの寂しさは今でも忘れることがない。青春の想い出が全て詰まったような車だった。感謝を込めてワックスを塗って送り出した。今でもたまに同車種を見かけると、ふと自分が乗っていた車を思い出してしまう。

 仏教には「草木国土悉皆成仏」という考え方がある。チベット仏教ではそのような捉え方はしないようだが、ダライラマ法王は日本仏教のその思想に深く感銘を受けて、シフトチェンジしたと聞いた。さすが法王は固執していない。時代に敏感である。

 モノであっても自然であっても成仏するといった思想はいっけん非現実的のようだが、これからの時代に必要な考え方だと思う。現代日本は自分自身が生きるのに必死なあまり、自分本意の生き方に徹し、人の気持ちや、他者からの恩・善意、目に見えない神仏や先祖を意識しない傾向にある。他力本願なのに自己主張はしっかりする。してほしい(得)のに、し返さない(損)。

 あらゆる価値観が尊重される良い時代?なので、屁理屈も多い。自分が身を削って他者に喜びを与えることを「無意味・損する」と思う人が増えてしまった。モノも心も消費されるだけ。

 話がそれた。学生時代に「ムーンライトながら」という夜行に乗車した。定刻通り東京駅を出発。まぎゃくの席に座った老人はビールとちくわを用意した。夜行旅情を楽しむには欠かせないアイテムだ。品川を過ぎ、川崎に差し掛かろうとしている。その老人はまだ、ちくわの真空パックを開けられずにいる。横浜に着いた。結局開けるのを諦めてしまった。

 私はその老人に話しかけてちくわをスッと開けてあげた。老人は嬉しかったのか、自分の用意した酒やつまみを私にすすめてくれる。結局私の用意した酒やつまみも混ぜて楽しい夜行車中談義が始まった。いつしか話は戦争の話へ。先人の大変貴重な話だった。気がつくと一睡もせず名古屋。私も老人もあくびをしながら別れた。懐かしい想い出である。日本海の報道を見て思い出した。

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開かれたお寺づくりと正しい情報を定期的に発信すべき!

 先日京都府綾部町在住の面識のない男性から電話をいただきました。そして、遠路、当山までお越しいただきました。

「人生の壁にぶつかり、仲間を突然失い、生きる意味を模索してきた。上座部仏教やヨガや座禅などあらゆる宗教を試したが、自らの心の隙間を埋めるまでには至らなかった」

 「あるとき、偶然書店で日蓮聖人の本を読んだ時、その生き方に強く共感し、涙が溢れて止まらなかった。世法ではなく信仰を貫き、いかなる困難をも他者に原因を求めることなく、真摯に人生を歩まれた姿に勇気をもらい、日蓮聖人や信念の拠り所になった法華経を勉強してみたいと思った」

 「具体的には日蓮聖人が佐渡に流罪されたとき、鎌倉の弟子が赦免運動を展開しようとした。これを御祖師様は、迫害は経説の通りで自らは寸分の曇りもないと運動を拒否された。また、赦免後、幕府が大幅に譲歩し、宗門公認や広大な一等地を寄進するという、飛びつきたくなるような条件も拒否、幕府の思惑、つまり、信仰本意ではなく、表面的な宗教利用を見抜かれての行動だったなど」

「世の荒波に振り回されている自分にとって明確な道しるべになった」

 御祖師様が仮に世法を優先していたら、今の日蓮宗は味付けの薄い料理のようになっていたのでしょう。

 ここで彼が言っていたのは、家の近くにも多くのお寺があり、日蓮宗もある。しかし、ハッキリ言って近寄りがたく戸惑っていたところ、拙寺のブログに出会ったそうです。

 拙寺ブログは、真面目なことの他に、檀家さんとの出来事や想い出、、夕食後に住職を尋ねて一緒にラーメンを食べに行ったとか、宗教とは関係がない、くだけたこともアップしてあり、少し恥ずかしくなるような気もしていましたが、これがきっかけで少々遠いが、意を決して連絡してみようと思いったそうです。それでもかなり緊張したとのこと。

 物腰の穏やかな彼ですが、内に秘めた情熱に深く心をうたれました。そして、ネットには多くの情報が氾濫しています。中には日蓮の名を冠したカルトまがいの新宗教や団体も多く存在します。

 書店にも、あらゆる団体が発行出版した本が陳列されていて、慎重に選択しないと、誤った情報を受け入れかねません。

 その中で、よく拙寺にご連絡いただけたことは仏縁だと思います。彼を失望させることのないよう、精一杯精進したいと思います。

この仏縁を無にすることなく、失望させることなく努めて参ります。そして、今後も正確な情報を発信していきたく存じます。 合掌 


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3月11日が近づいてきました

 フェイスブック上で、3月11日に開催される京都マラソンに反対する日記を発見しました。

 以前著名人が震災後翌月のディズニ​ーランド再開時に一万人が行列し、子供がはしゃぎ、へらへらする​親の映像にふれ

 「未曾有の大災害が眼前に広がっているにもかかわ​らずが、いまだ同じ論理で生きる国民に警鐘を鳴らし、本当の復興​をしようと思えば「価値観」そのものを変化させる必要がある」

 と​発言したことを思い出しました。花見自粛の問題もありましたが、​慮る行為が大切と思い、当山では檀家さんと慰霊法要後、地味に行いました​。

 京都は送り火問題もありました。種々意見はありますでしょうが、拙僧もこの日付選考には感心していません。まだ一周忌ですので、少なくとも当日の午後​はしめやかに過ごしたいものです。 
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信仰のあり方

こんにちは
年末年始と多忙を極め、なかなかブログを更新できません。お許しください。

フェイスブックは「中紙賢孝日梵」で検索できると思います。利用なさっている方は是非友人になりましょう。

数年前に伏見在住のMさんから電話があった。

「法華経を修行したいので定期的にお寺に伺いたい。お題目を唱えて先祖供養もしたい。御本尊もお祀りしたいとも考えている。ただ、現在生活が苦しくて、職も流動的なため、その時に応じた布施供養しかできないが構わないですか?」

勿論二つ返事で来寺を促した。

その男性は毎月お寺に参拝する。体調の悪いときや仕事の融通がきかないときも、何とか参る努力をし、無理な場合は電話をくださる。財政的に厳しいにも関わらず、ひとつき空いた翌月は空いた分を足して若干お布施が増えている時もある。

息子の安穏を願って献灯料を供えることも。

今日もその方が参拝した。

「いつも丁寧に供養していただいて申し訳ないので自我偈とお題目だけ唱えてくだされば結構です」と仰る。

財政的なことで遠慮しておられるのだと感じたが、いつも通り法要をさせていただいた。

帰りがけに「気持ちがスッとしました。また一ヶ月頑張ります」と嬉しそうに帰って行った。

最近は新興宗教が流行る。自分の目的や夢を達成させるために、その手段として一生懸命信仰するが、先祖を敬ったり、他者の幸福を願ったりと、空気のように目立たないが、息をするように大切なことがおろそかになる。

現代人は自分のしたいこと・興味のあることを一生懸命して満足する。しかし、本来なすべき事を無視していることも多く、それでは本質を見いだせない。スタンプラリーと同じだ。

Mさんのような平凡な日常行動に本物の信仰心を見出すとき、法悦に浸る。

最後に先日参拝した靖国神社の絵馬に
「娘にとって最善の道を歩むことができますようお導​きください 母」とあった。 合掌 住職日梵

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天皇誕生日によせて

 今日は天皇誕生日。幼少の頃、亡き父に連れられて参った一般参賀を思い出します。​当時は先帝ご誕生の4月29日でした。とても沢山の人の列が連な​り手には日の丸。二重橋から皇居内に入りました。今思うと皇居の​中は伊勢神宮の内宮のような佇まいです。
 宮殿前ベランダを皆が見上げる。「間もなく天皇陛下がお出まし​になります」アナウンスが入る。それと同時に旗の音と人々の声。​球場やコンサートにで聞く歓声とは明らかに違う。まさに「歓喜の​声」でした。陛下がお話しになる御振る舞いを察知するや一瞬に静​寂、そして再び歓喜。
 ふと隣を見ると老父を支えながら参拝に来ている息子。私の父は​その息子さんの姿を見て目を潤ませていました。
 あれから30年以上経ちますが、拙僧は他界した父に親孝行がで​きただろうか。いつの日か父の位牌を抱いて一般参賀に上がりたい​。

謹んで今上陛下のご生誕をお祝い申し上げます。南無妙法蓮華経
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ウォーキング再開~仮城宝処の譬えばなし~

住職日梵です

 昨年十月より、危機感を感じ、ウォーキングを開始しました。距離は1日6~12㎞ 法華寺~松井山手駅二往復。三日坊主を克服し、半年継続したものの、気温上昇とともに自然に中断してしまいました。

 しかし、八キロ減も数ヶ月で元に戻り、再び再開しています。今日は二往復。足は痛い腰は痛い。最悪でしたが、目的に向かってがんばります。

途中、花住坂のファミリーマートでお茶を購入して一服します。ヘルシア緑茶や黒烏龍茶をいただきます(笑)
結構リラックスできますよ!

ここで急に真面目な話。


法華経の化城諭品第七には化城宝処のたとえ話があります。

 ある旅人たちが五百ヨージャナ(ヨージャナとは古代インドの単位。由旬ともいう)というとても遠い場所にある宝を求めて旅をしていました。しかし、行けども行けども先が見えません。投げ出してしまおうか?歩みを止めてしまおうか?すると、仲間の中で優れたリーダーが300ヨージャナのところに幻のお城をつくり、仲間をを休ませます。リフレッシュした仲間たちは再びやる気を取り戻して、ついに宝の場所へと到着することができました。

 これは真実のさとりの世界。すなわち法華経に説かれる霊山浄土に至ろうとするも、煩悩や欲に邪魔され、挫折しそうになります。そこですぐれた指導者、親のような存在である仏様が、我々のレベルに合わせて多くの教えを説き、いったんは安住させます。そしてあらためて本来の目的である法華経の修行、霊山浄土へと導いてくださる。

多くの経典の中が存在する中で、真実の修行、涅槃成仏は法華経にあると示されたたとえ話です。

今の拙僧にとってファミリーマートは仮城といったところでしょうか。

ふざけてスイマセン。合掌

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素晴らしい葬儀と最近の傾向

 昨日、師僧の自坊で葬儀の役僧を依頼されました。故Gさんは信行会の会長を務められるなど、寺門興隆に絶大な貢献をなさった方で、いつ訪ねても必ずお寺にいらっしゃいました。人柄も明るく、心から菩提寺を愛しておいででした。拙僧も出家得度以来大変お世話になり、報恩も込めて全身全霊で霊山往詣を祈念いたしました。

 当日は親族関係者はじめ、信行会員が総出で参列、出棺時は勇壮な団扇太鼓の音色、皆で声浪々とお題目をお唱えしました。喪主の息子様の挨拶で「頑固な父でしたので、よく衝突することもありましたが、今日、皆様の温かな御心に触れて、父の家族では感じ得ない部分を評価していただいたことを認識し、感謝の気持ちで一杯です。」と仰いました。なくなったお父様が心の中に蘇った瞬間ですね。葬儀ってやはり必要だと思います。
 
 太鼓を叩きながらふと思った。十数年前の華やかな落慶法要、笑顔に満ちた檀家さん。副住職が荒行から帰山した際の誇らしい瞬間。そして今回の葬儀と、お寺って一つの空間で色々な相があるけれど、人生の卒業式を愛すべき我が寺で厳修できた故Gさんも生きた関係者も皆笑っているかのように見えました。
 
 最近は直葬と言った便利な言葉がありますね。そのような言葉を誰が考案したのか?ペットが亡くなり供養する人が増えていますが、動物の直葬が減り、人の直葬が増える。変な世の中になりました。

 皆様はその言葉に救われているのでしょうか、惑わされているのでしょうか。現代日本人は瞬間に囚われ、ただ生きているだけの者が多いのか、誕生日結婚式、成人式は派手にしても、葬式はしない。他者からの恩を消費だけして報ずることをしない。自分本意に生き、自分の為だけに物質を消費する。遺族はサラッと「直葬しましたが四十九日はしたい」と言う。形だけで心が伴わない儀式などそれこそ無意味。
 
 ある方は「成仏するためには四十九日をしてやらないといけないと聞いた」という。なら、どうして葬儀してやれなかったの?曰く「時間と費用を節約した。最近はみんな直葬が増えているらしいから」と。現代人はけっこう霊やお化けを気にするしスピリチュアルだのパワースポットだの言いますが、ここで故人が化けて出ることは考えなかったのかな?
 
 人として心を養う機会が葬儀や供養なのだと思います。そして、自他共に仏道を成ずると言うように、皆の真摯な祈念が故人の魂を宗教的救済世界に安住させ浄化成仏するのです。煩悩に惑わされ、執着心を残し、顛倒する衆生の魂は、未浄化の風になるか、輪廻の渦に呑み込まれてしまう。

 故Gさんは千の風にならずに霊山浄土に安住したことでしょう。そして我々をお見守りくださるでしょう。
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本堂で聞くクラリネット四重奏団「秋のコンサート」ご案内

この度、法華寺菩薩団では、少しでもお寺を身近に感じ親しんでいただく為、シタール演奏会以来、3年振りに本格的なクラリネットコンサートを企画いたしました。[演劇][るんるん]

演奏者四名はプロのミュージシャンです。[るんるん]その中で3rdクラリネットを担当される村西俊之さんは法華寺菩薩団員なんです。[わーい(嬉しい顔)]

当日は日頃お世話になっております皆様へ感謝の意を込めて、入場は無料とさせていただきました。[黒ハート]

菩薩団員一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。ご不明な点は遠慮なくお問い合わせください。

詳細は画像をご覧ください[exclamation×2]

日時 平成23年10月23日 午後2時開演(午後1時開場)

会場 京都府京田辺市大住岡村61 日蓮宗法華寺

定員100名

[ひらめき]入場無料[ひらめき]

[演劇]駐車場に限りがございますので、できるだけ公共交通機関をご利用ください。[電車][バス]


少々見づらく申し訳ないです[ふらふら]
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「初盆を迎える震災受難の精霊を精一杯もてなそう」大津と京田辺の「菩薩団」が盂蘭盆灯火会開催

 大津市本要寺と京都府京田辺市法華寺の両信行組織「菩薩団」は8月20日、修養道場と盂蘭盆灯火会を京田辺市法華寺で開催した。
 
 この道場は今年で六回目を迎え、毎年見えないものへの畏敬の念を育んでもらうことを目的に開催しているが、今年は震災犠牲者の鎮魂をテーマに開催。
 
 当日は、会場寺院の法華寺菩薩団が中心となって竹灯籠の準備と当日振る舞われる二百人分のカレーライスや各種出店の準備を行い、その後、鎮魂法要で奉納する団扇太鼓や読経の練習をした。また、参加者全員で震災犠牲者・行方不明者合計数の折り鶴を作製し、御宝前に奉納した。
 
 なお、当日奉納された東日本大震災鎮魂竹灯籠の収益は義捐金として全額被災地に送られた。
 
 盂蘭盆灯火会には両寺檀信徒が多数参加し、地域住民約百人も参加した。

 当日はあいにくの雨模様となったが、法要に参加したネパール国出身のジョシ・サンブ・ラル氏は「ネパールでは法要中に降雨することは瑞象とされ大変有り難いこと。慈雨が法華経の道場に注いだ」と語った。
 
 住職は「日蓮聖人は四恩を知って恩に報いるべきと説かれました。現代人は不孝の民になりつつある。今こそ自分本位の生き方をあらため、この盂蘭盆には先人を精一杯おもてなしし、国を愛し、全ての生命を重んじ、日々清らかな心で生活しましょう」と語った。
 
 本要寺と法華寺は同じ住職のもと信行に励む仏縁から、多くの交流活動を展開している。

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感動した動画です。

警察・自衛隊に小さな声援

http://www.youtube.com/watch?v=KhDN-IVfgjQ

戦時中、戦地に赴いた多くの先人も大切な人を守ろうと出撃した。知覧でも子供が精一杯送り出したと聞く。

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さあお盆!精霊が帰ってきますよ!

 お盆はご先祖様がなつかしい故郷に戻る大切な期間です。先人は目に見えないご先祖様に思いを馳せ、お盆になると家族でワクワクしながら精霊を迎えました。仏壇には山海の珍味を供え美味しく召し上がっていただき、夜は盆踊りを精霊と共に楽しみ、ご先祖様には現世でゆっくり静養していただけるよう心がけました。子孫は改めて自らの命の尊さを感じ、我々の命の根源であり、先に同じ尊い命を終えたご先祖様の営みに深い畏敬の念を抱きました。
 本年は東日本大震災犠牲者の初盆を迎えます。無念にも恐怖の中で犠牲になられた多くの精霊が故郷にお戻りになります。
 法華寺ではお盆期間中全山あげて震災犠牲者を含めた全霊位に最高のおもてなしを勤めたく思いますが、皆様のご家庭でも今年は特別な思いでお盆期間をお過ごしいただきますようお願い申し上げます。
 たとえ少しの時間でも法界精霊に草鞋を脱いでいただき、心のこもったおもてなしを心がけましょう。お題目の功徳力によって得道成仏への縁を結び、安らかに復興をお見守りいただきましょう。代受苦意識をもって被災者の辛苦を考えましょう。    
「目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になりたもう。上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母等、存外に仏となりたもう」 ~日蓮聖人『盂蘭盆御書』~

盂蘭盆灯火会の一コマ
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