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葬儀の布施など言いにくいことだが・・・信頼関係が大切。

 僧侶と檀信徒は信仰心も勿論大切だが、何より信頼関係ありきで相互関係が成立する。法施と財施という言葉がある。僧侶が法を説く布施に対し、在家がそれを支援するべく物財を布施するといった関係である。僧侶はあの世のことを見たかのように語るが当の本人はあの世の記憶がない。経説や経験から引用して伝えている。だから「仏飯を食べる」というのだろう。魂入れをするといっても、位牌から位牌に青い炎が移る姿も見えない。霊感商法と紙一重である。だからこそ、高い倫理性と、仏教教理哲学の体得が求められるのである。法を説き続け、病院や学校と同様に檀信徒に必要と感じてもらわねばならない。
 近年は寺と檀家の関係が希薄になった。特に都市部ではその傾向が著しい。拙僧は住職就任より今日まで、常に檀信徒と僧侶が家族のような関係を築いていけるよう心がけてきた。あれから10年が過ぎたが、拙寺ではようやく全てとは言わないまでも、信頼関係を構築することが出来た。お寺にも気軽に立ち寄っていただけるようになった。こちらが様子伺いに急に電話をしても、怪しまれることも少なくなった。
 お寺といえば「坊主丸儲け」や「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といって金銭トラブルがクローズアップされることが多い。結局このトラブルも信頼関係の欠如から起こると思う。良く葬儀の布施相場を尋ねられるが、「寄付行為で寺院が維持されているので、多ければ素直に有り難いです。ただこのような返答ではお困りでしょうし、一年間の運営を考慮するとこれくらい奉納いただくと助かるのは事実です。しかし、お考えもありますでしょうから分相応にご協力いただければ結構です」とお答えする。拙寺は檀信徒に会計報告をしているので、よく理解していただける。
 形無いものへの布施だけに難しいかも知れないが、対価ではない。はじめてのご縁の方には「正直100万円を奉納していただいた時もありましたし、5万円の時もありました。これだけ額に差があっても拙僧の葬儀行為に一切変化はありません。袈裟の色、読経の質や時間、葬儀中の意識、法話、法号等全て金額には左右されません。まったく同じです。当たり前のことです。ただし、なんだ!だったら数万円でも出来るんじゃないか!値切れるんだな!といった考えはしないでくださいね」といって先述の話をする。
 以前生活が苦しいのでほとんど協力できないと言われたが、構わないといって精一杯葬儀をさせていただいた。すると、初七日が終わったら「本当に有り難かった。親戚一同非常に喜んでいる」と言って追加で奉納下さった方がいらした。おしみのない布施。僧侶冥利に尽きるとはこのことだ。収入ではなくその気持ちが嬉しかった。功徳を積ませていただいた。
 これらのことは、全て信頼関係があってこそ成立する。当たり前に安易に戒名料やランクを付けて葬儀をする寺院も多く、施主も煩わしいよりは、そのような淡泊な関係を望み、ギブアンドテイクで物事進んでいるようだが、これは末期症状である。常識は多数派が決定する。合理主義の美名の元、家族葬や直葬、無葬儀、散骨が現状以上に増加し、市民権を得て常識になってしまったら、その時は時既に遅し。あぐらをかいている僧侶が右往左往しても誰も認めてくれないだろう。
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磯野 善成

ブログ拝見させて頂きました。
僧侶としての本分とは何かを改めて考えさせられました。
本当に大切なのは、いかに檀家さんと心と心を通わせることができるかってことなんですよね!
すぐには檀家さんとの信頼関係は構築できないとは思いますが、辛抱強く向き合っていきたいと思います。
過去の行事での写真とかもアップされていて懐かしく、そして楽しく拝見させて頂きました!
また、見させて頂きます。
by 磯野 善成 (2011-04-21 22:27) 

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