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信仰のあり方

こんにちは
年末年始と多忙を極め、なかなかブログを更新できません。お許しください。

フェイスブックは「中紙賢孝日梵」で検索できると思います。利用なさっている方は是非友人になりましょう。

数年前に伏見在住のMさんから電話があった。

「法華経を修行したいので定期的にお寺に伺いたい。お題目を唱えて先祖供養もしたい。御本尊もお祀りしたいとも考えている。ただ、現在生活が苦しくて、職も流動的なため、その時に応じた布施供養しかできないが構わないですか?」

勿論二つ返事で来寺を促した。

その男性は毎月お寺に参拝する。体調の悪いときや仕事の融通がきかないときも、何とか参る努力をし、無理な場合は電話をくださる。財政的に厳しいにも関わらず、ひとつき空いた翌月は空いた分を足して若干お布施が増えている時もある。

息子の安穏を願って献灯料を供えることも。

今日もその方が参拝した。

「いつも丁寧に供養していただいて申し訳ないので自我偈とお題目だけ唱えてくだされば結構です」と仰る。

財政的なことで遠慮しておられるのだと感じたが、いつも通り法要をさせていただいた。

帰りがけに「気持ちがスッとしました。また一ヶ月頑張ります」と嬉しそうに帰って行った。

最近は新興宗教が流行る。自分の目的や夢を達成させるために、その手段として一生懸命信仰するが、先祖を敬ったり、他者の幸福を願ったりと、空気のように目立たないが、息をするように大切なことがおろそかになる。

現代人は自分のしたいこと・興味のあることを一生懸命して満足する。しかし、本来なすべき事を無視していることも多く、それでは本質を見いだせない。スタンプラリーと同じだ。

Mさんのような平凡な日常行動に本物の信仰心を見出すとき、法悦に浸る。

最後に先日参拝した靖国神社の絵馬に
「娘にとって最善の道を歩むことができますようお導​きください 母」とあった。 合掌 住職日梵

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